共存する、鋭さと儚さ

京本大我を追っていると、「この人、ふらっとどこかへ消えてしまうんじゃないかな。」本気でそう思ってしまうことがある。(京本担であれば共感してくれる人も多いはず😌)

 

確かな根拠があるわけでもない。

見た目に引っ張られている可能性もある(笑)

 

(全てを見透かしたような彼の目を見ていると、普通の人ではなく思えてしまう時がある。この感覚は…そう、ケンドーコバヤシと似ている…?大昔に占い師がテレビで言っていたのだが、彼は芸能界を見守る神なのだそう。京本大我もその類の匂いがする。)

 

ただ、なんとなく。なんとなく消えていなくなってしまいそうなのだ。

 

何故なのか考えてみた。

 

私がたどり着いた答は、

彼が生み出す【言動と心境の乖離】である。

 

うーんなんかわかりにくい上に自己陶酔感が否めないなあ。気にせず行こう。

 

彼は普段、天然小悪魔厨二病王子様という、いかにもヤバいキャラで私たちファンを楽しませてくれている(ある意味心配でもある)。

 

ただ時折、インタビューなどで京本大我の胸中に眠っているとてつもない闇を垣間見ることがあるのだ。

 

具体的な例を言えば、【死】についてである。

それについて語ったインタビューは今から数年前、個人の仕事も増え始めていた頃のものだ。

仕事が増えていくのは嬉しいはずだが、それに伴って、思うように個人とグループ活動の両立ができない自分への怒りや不安も増大していったのだろう。

 

 

『自分はどうして生まれてきてしまったのだろう』

 

 

まさかこんな言葉がアイドルの口から出てこようとは。

まさか自分の応援している人がそんなことを思っていようとは。

 

 

彼は1人で葛藤の日々を送っていたのである。

自身に対する不安と嫌悪に追い詰められていたのである。

私たちの見えない所で、必死に、そして孤独の中で1人藻掻いていたのである。

 

ここから言えるのは、彼は何も考えていないように見えて(何も考えていないように見せている←が正しいのかもしれない)、本当はどこまでも考える人間だったということだ。

 

いつも意味の分からない言動で私たちを笑わせてくれる彼が、圧倒的なパフォーマンスで私たちを魅了する彼が、そんな闇を抱えていたなんて…

 

京本大我という人間のことを全て分かったつもりでいた自分が恥ずかしくなった。

 

と同時に、とんでもない大きな闇を抱えていながらであろうと、人間とはあれほどまでに輝けるものなのか… そう思った。

 

計り知れない苦悩を微塵も感じさせない振る舞いが思い返され、やはり彼はプロだなと感心せざるを得ない。

 

当時、衝撃と感嘆が入り交じった、不思議な気持ちになったことを覚えている。

 

その他にも、

SixTONESに自分は要らない。

そうインタビューで答えたこともあった。

 

そんな時、「大切な存在です。」と間髪入れず返してくれるのがジェシーなのだ。

ジェシーは京本に対して、この言葉をよく掛けてくれる。本当にありがとう。

ジェシーからの言葉に対して嬉しそうに照れ笑いする京本が大好きなんだ。

そして何より、ジェシーがいる限り6人が離れることは無いような気がして安心するんだ。

 

まだまだ書き足りないが、LIVEではオラオラかましたりYouTubeでは可愛いところを見せてくれたりする激ヤバ坊ちゃんは、何の前兆も無く闇を吐き出すことがある。その生き様に一抹の不安を覚えるのだ。

 

そんな風に、ふと思い立って居なくなっちゃうんじゃないかと不安になる。そこと生き方とをリンクさせてしまう。

 

 

しかし一方で、時々心配になってしまう程の圧倒的な彼の儚さが、私が京本大我ファンたる所以であることもまた確かなのだ。

 

#SixTONES